会津藩〜エピソード第1章〜

会津藩を語るには、藩祖である保科正之を語らなくてはならない。

父親は二代将軍徳川秀忠で、一夜の浮気(?)から生まれたと言われている。
秀忠の正室お江与の方で、かってNHK大河ドラマで放送された「江〜姫たちの戦国」の主人公である。
お江与の方のことは別な機会に書くことにし、ここでは省きます。)

秀忠は、そのお江与の方の目を盗み、志津と言う娘と結ばれたのである。
この娘は北条氏の浪人の娘で低い出自であるが、秀忠の乳母付の女中として大奥に入り、秀忠の目に留まったのである。

さあ、その志津が身ごもった。これを知ったらお江与さんは許すはずがない。
なんせ、織田信長の姪である。気性の激しさは伯父譲りである。
これを周りのお付きの方々の配慮で、江戸城外の志津の姉の嫁ぎ先で男子を産んだ。
これが、保科正之である。

神君徳川家康の孫であり、三代将軍徳川家光の異母弟にあたる。
家康が知っていたら当然に正之の姓は徳川であったろうが、秀忠はお江与の方だけでなく父家康にも知らせていなかったそうである。
何とも情けない将軍である。