会津藩〜あとがき〜

長い作文になってしまった。
稚拙な文章で最後まできちんと読むのも一苦労だったでしょうが、例え、わずかでもおつきあいいただき、ありがとうございました。

文章中に薩摩、長州のことを随分と悪く書いてきましたが、あくまでも江戸時代末期のことを書いたものであり、現在の特定地方に対しての嫌悪感はいっさいありません。また、あくまでも私の個人的な独断と偏見です。
ご了解ください。

東日本大震災から2年半近くが経とうとしてます。
しかし、いま現在も福島地方は大地震の甚大な被害とともに、原発における風評とも言える差別被害に苦しんでます。
放射能による影響はまだ終息してません。これから、どれだけ広がるのか不透明な部分があります。

日本国政府はうそにうそを重ね、すべての処理は後手に回り、本来は地震津波という不幸な天災であるのですが、その後の経過を見れば、人災と言わざるを得ません。

当時の首相自ら、20年〜30年は住めないと言ったり(本人は言ってないとしてますが・・・・・)、調査データを隠蔽したりと、原発のある福島県浜通り死の谷のごとく扱う傾向すらあります。
その後も張本人である電力会社は事故による責任を感じるどころか、原発事故の検証も済まないまま、他の地域の原発の再稼動を申請してます。
まさに福島の教訓は何も活かされていません。

それらのことで、私の中で、ちょっと幕末の頃に会津藩が受けた屈辱と似たようなものを感じましたので、その感じたことを自分の日記として残そうと思い、書き連ねました。

ではでは。