今日は阪急大宮駅からいつもの壬生寺ですが、そこから坊城通りを南に下り、西本願寺からJR京都駅付近までの歩きでした。
行程です。
自宅+++++阪急大宮駅~壬生寺~八木家住宅~島原住吉神社(島原西門跡碑)~角屋~輪違屋~島原大門~中井正五郎殉難地碑(天満屋騒動之跡)~本光寺(伊東甲子太郎他数名遭難地)~新撰組不動堂村石碑~新撰組最後の洛中屋敷跡碑~京都タワー~阪急河原町駅+++++自宅
本日はこんな感じで距離も短く、途中で雨も降ってきましたので、早々に切り上げて帰宅となりました。
さて、多少の説明を入れながら画像公開です。
いつもは壬生寺の正面の写真ですが、今日は南門を出て、新撰組の屯所になった八木家の南住宅を紹介します。
ここから少し東に戻ったところの通りが坊城通りです。
まっすぐと南に向かい、途中に学校とかマンションがあり、道を塞げますが、とにかく南の方向に行きます。
五条通りを渡る辺りでJRの山陰線が見えますので、その高架に沿ってさらに南に行くと左手に島原住吉神社が見えます。
元は島原遊郭の西門らしいので、幕末には多くの志士たちがここを通って行ったんでしょうね。
そのすぐ近くに新撰組の初代局長の芹沢鴨が大暴れしたといわれる「角屋」があります。
もうここから東に向くと島原大門が見えます。
その途中に左を見てますと路地を入ったところに「輪違屋」があります。
今も営業しているらしいので、中には入れません。
幕末では芸妓・糸里は小説にもなっていて、新撰組の副長土方歳三といい仲だったとか、その妹を芹沢鴨が狙っていたとか、通りのど真ん中で刃傷沙汰を起こしたとか・・・・・、芸妓遊びかぁ・・・・・、古き良き時代ですなぁ。
そこから島原大門を抜けていきます。
ここから西本願寺を超えて油小路に行くと、天満屋騒動之跡があります。
龍馬を暗殺したのが紀州藩の三浦休太郎と思い込んで、海援隊の同志らが襲撃しました。
その情報を事前に察知していた紀州藩が新撰組に警護を依頼してたので、大乱闘になり、十津川藩士の中井正五郎が殉難しました。
道端にひっそりとあるので、なかなか気付きません。
そこからこの油小路をまっすぐに南に行くと伊東甲子太郎が新撰組の内紛で殺害され、その遺骸を引き取りにきた仲間と新撰組の大乱闘があった「七条油小路事件」の場所です。
この後は幕末に新撰組が本拠地を八木家→西本願寺→不動堂村石碑→最後の洛中跡地と移した石跡碑に行きます。
最後に何の関係も無いですが、京都タワーどぇす。(笑)
もう何十年も前ですが、一度だけ登ったことがあります。
さて、今日は市街地のみの散策で、途中で小雨となり鬱陶しかったですが、
かなり京都づいてます。
流石に年内は無いですが、来年に出来たら初詣に伏見稲荷から八坂神社辺りを考えてます。
またアップします。
ではでは。