しかし、会津藩も実に割に合わない役割を任ぜられたものだ。 勤王の志士と自称する輩の大半はいい加減な者が多く、攘夷の御用金と称してのゆすりたかりの毎日であった。 新撰組を悪の権化とし目の敵にしたが、自分たちの方がもっとたちが悪い。会津藩として…
京の町はますます騒然とし、長州兵が大挙して御所に攻め込むという噂で持ち切りとなった。 そのなか、松平容保は体調を崩し、寝込みがちとなっていた。 この頃、容保はまだ29歳である。 元々、病弱であったらしいので、遠く離れた異国の地で相当なストレスが…
引用をストックしました
引用するにはまずログインしてください
引用をストックできませんでした。再度お試しください
限定公開記事のため引用できません。