2013-01-01から1年間の記事一覧

世界中を敵に回したシナ

侵略国家のシナが愚かな行動をとっている。・・・・そう、例の”防空識別圏設定”である。 米国はもとよりEU諸国からもあまりの横暴さに非難が出ているようです。シナは共産国家ゆえに人民の海外渡航に制限があったのですが、大幅に緩和され、シナ人はビジネ…

新島八重さんの足跡を辿る散策です

御金神社を後にして、既報の通り先日に電池切れで撮影できなかった場所の再訪問です。八重さんが京都に来て最初に働き始めた場所が”女紅場”で、そこで機織を教えていました。 その後に新島襄と結婚し、住んでいた住居とか女紅場の門とかをご紹介します。さて…

京都にある珍しい神社に行ってきました

先日は散策中に携帯の電池切れで撮影不可となりましたので、本日に再度の新島八重さんの足跡を辿る散策に出かけたのですが、その前に先日の新聞に掲載されていた珍しい神社を紹介します。 御金神社と書いて”みかねじんじゃ”と読みます。由来書きを簡単に紹介…

近場の散策です

昨日にそこそこ歩きましたので、今日は散策と言うより自宅の近くの神社までの往復です。 昼ごはんは自宅で済まし、午後からの運動がてらの散歩です。ホントは自宅で休養日にあてても良かったのですが、あまりにも天気が良かったので、我慢できずの散策です。…

久し振りに散策仲間との神戸市内散策です

下記の記事にありますように、母親の入院が続いてますが、脊椎の骨折は簡単には治りませんが、痛みはかなりマシになったようです。一昨日の土曜日に見舞いに行ったときは、昼ごはん中だったのですが、表情も明るくなり、背中の痛みの引いているのか、ベッド…

ここ1ヶ月は落ち着かない

この9月は全く仕事に集中できなかったです。9月に入ってすぐに右目が激しく充血し、瞬きだけでも痛くなりました。 近くの目医者に行き、目薬を処方して貰いましたが、全く改善せずに再度の診察に行きました。 薬が効いてないと言うことで別な目薬に変えても…

京都散策ですが、携帯の電池切れです

コース紹介です。 会津守護職跡(現京都府庁)~薩摩屋敷跡(現同志社大学)~蛤御門~女紅場の門〜女紅場跡〜守護職屋敷門〜金戒光明寺〜同志社墓地(新島襄と八重の墓)久し振りのブログです。(笑) 三連休の最後で晴れ間が広がり、このところ土日の雨が…

オリンピック東京招致は成功と言って良いのか?

今回の記事はジャンルとしては本来ならスポーツに入れるべきだろうが、あまりにもすんなりと喜べないので、政治マターとして取り上げた。なにはともあれ、オリンピックの招致活動が成功し、2020年に東京でオリンピックが開催されることになった。 しかし、素…

来年から祇園「後祭」が復活する

下記の記事にあるように京都・祇園祭の「後祭」が復活するらしい。これは何年か前にも新聞記事に掲載されていたが、その当時は検討中とだけなっていた。 いよいよ、警察当局と市の担当、主催者である山鉾連合会の合意がなされたようです。 山鉾は高さがあり…

意見表明は十分に評価したい

本日の新聞読者投稿欄に下記のよう意見が掲載されていた。 まずは内容を読んでみよう。冷静に判断できる大人が読めば、間違いだらけであることが認められるだろう。 国際社会に日本の主張をもっと示さねばならないと私は考えます。 この主張は大いに正しい。…

夕方には雨が上がったので・・・・

せっかくの週末に雨模様だとどこへも出かけられませんので、気分転換ができませんね。昨日は夕方には小ぶりになりましたが、遠くには出かけられませんでした。 昨晩からの大雨で、あ〜あ、今日も一日自宅待機かと思いきや、3時頃には晴れ間も出てきて、東の…

今日は近場の散策です

今週は水曜日に仕事をお休みして散策に出かけましたので、今日は近場です。家から数キロくらいのところに「田能遺跡」がありまして、散策コースですので良く行きます。 と言っても夕方に行くときには閉まっているので、門前でUターンして帰って来るわけです…

ええ〜、藤圭子さんが・・・・・

トレードの合間にネットサーフィンしていたら、ニュースで藤圭子さんがマンションから転落死と出てました。自殺となっていました。びっくりです。宇多田ヒカルの母親となってましたが、私の年代では宇多田ヒカルの方が藤圭子の娘として売り出した、と言うイ…

トレードをお休みして休暇としました

今週の土日はどうやら雨模様ですので、今日を休暇として出かけてきました。まだまだ日差しは強いですが、焼け付くように照り付けるということは無く、日陰に入るとスーとした涼しさを感じます。 特に今日は雲も多くて曇ってる時間帯も多く、カンカン照りでは…

暑いです!!

昨日も今日も西宮近辺の散策です、いや散策と言うより還暦を越えたわが身としては、炎天下のトレーニングです。土曜日の行程は自宅〜門戸厄神(ここでランチ)〜西宮北口駅〜塚口駅〜つかしん〜自宅。 本日の行程は自宅〜武庫川河川敷(ここでランチ)〜廣田…

消費税の増税論議

昨日に日本のGDP数値が発表され、年率換算で2.6%となり事前予想よりは悪いが、着実に景気回復のシナリオを描き出しているのが確認された。しかし、まだデフレ脱却できない日本の状況を鑑みて増税の先送り論もあるし、今やらなくていつやるんだ、ともある…

韓国を失墜させよう!!

あるブログに下記のような記事がありました。 要約して明記してみます。>> GMが韓国を見切るGMは韓国での生産をデトロイト、ヨーロッパに移転させる計画を進めていると外電は報じており、韓国外しが今後急速に進むことになります。GMグループは、海外…

でった〜ぁぁぁぁぁ!!! 38℃

今日は息子が孫娘を連れて遊びに来てますので、仕事は事実上休みにして、孫のために何か買い物をと思い、息子の車で伊丹にある大型スーパーに行きました。 その帰りの12時46分にビルの温度計が38℃を示していましたので、思わず写真に収めました。テレビの…

おめでとう!! 福士加代子選手

世界陸上初日にあった女子マラソンで福士加代子が粘りの走りをみせ、見事に銅メダルを獲得しました。 見事な快挙です。彼女は強豪ワコールの駅伝で磨かれ、トラック種目の5000m、10000mで傑出した実力を持ち、その才能を持ってすれば、マラソンでも2時間17…

今日も散策はなしです

昨日は弁当を作って自宅を出たのは良いのですが、吐き気があり冷房の効いた電車に乗っても不快さが収まらなかったので、散策は中止としました。まだ気温もそれほど上がってない午前中でしたので、熱中症にかかったわけでは無いでしょうが、今年は半端じゃな…

炎天下の散策

昨日、一昨日と特に行くところもなかったので、家からさほど遠くない西宮北口あたりの散策に行きました。 どちらの日も20km以上の総行程で、炎天下のトレーディングでした。たびたび行っている門戸厄神、廣田神社、甲山森林公園で、特に写真は取らなかったの…

麻生副総理の「ナチス」発言について

ここ数日において麻生氏へのバッシングが厳しい。それもそのはずでよりによって憲法論議で「ナチス政権」を引き合いに出したのは、あまりにも思慮に欠ける発言である。 非常に簡略だが、意味合いとしてこんな発言であった。 「ある日気づいたらワイマール憲…

昨晩の「ビーバック・・・・、関西の食のミステリー」という番組

昨晩、朝日放送の夜11時過ぎからの番組を録画していて先ほど見ました。メロンパンとサンライズパンの違いみたいなことをやってました。 神戸で生まれ育ち、関東圏での生活も数年間経験がある身としては非常に興味深く拝見しました。一般的には下記の商品をメ…

2012年8月14日(火曜日)日本人の屈辱の日を忘れるな!

まもなく、日本国民の屈辱の日がやってくる。 昨年の8月14日に竹島騒動での李明博(イミョンバク)大統領の発言は日本人にとって、生涯忘れぬ屈辱の発言となったことをここに記しておきたい。 その発言は以下の文面である。日王(天皇)は韓国民に心から土下…

会津藩〜あとがき〜

長い作文になってしまった。 稚拙な文章で最後まできちんと読むのも一苦労だったでしょうが、例え、わずかでもおつきあいいただき、ありがとうございました。文章中に薩摩、長州のことを随分と悪く書いてきましたが、あくまでも江戸時代末期のことを書いたも…

会津藩〜エピソード第20章、最終章〜

もう、会津城内は日々、ひどい状況になり、脱走するもの、自害するもの・・・・・、実に悲惨を極めており、籠城してから、すでに1ヶ月が過ぎようとしていた。 このまま籠城して五千人ともに玉砕するか、潔く敵の軍門に下るか、梶原平馬は悩みに悩んだ。直接…

会津藩〜エピソード第19章〜

会津藩への攻撃は白河口の軍兵で、会津は仙台藩の支援を受けたにもかかわらず、戦闘に敗れ多くの犠牲をだし、二本松城が陥落し、国境の母成峠が破られ、・・・・・と次から次へと敗走した。母成峠付近の地図 母成峠古戦場碑 会津戦争は母成峠付近での戦いが…

会津藩〜エピソード第18章〜

この長岡の戦いは熾烈を極め、官軍側として指揮を取っていた山県有朋の会津戦争参加を阻止することになった。 最初は官軍側が有利に進んでいたようだが、河井継之助率いる長岡藩の猛烈な反撃できりきり舞いさせられ、奇兵隊士として参加した山県の盟友の多く…

会津藩〜エピソード第17章〜

梶原平馬は、天保十三年(1842年)、会津藩家老内藤介右衛門信順の次男として生まれた。 梶原家の養嗣子となり、平間景武を名乗った。梶原平馬 話が前後するが、戊辰戦争後、行方しれずとなり歴史から消えていた。 ところが、晩年を北海道の根室で過ごし、明…

会津藩〜エピソード第16章〜

長州藩は会津攻撃の準備を進めていた。 徳川慶喜と勝海舟はみて見ぬ振りで、江戸に戻った新撰組も勝海舟より「甲陽鎮撫隊」として、甲府城攻めを言われた。 大名にしてやるとの話であるが、体よく江戸から追っ払う考えであった。 まさに、トカゲのしっぽ切り…