2013-07-30から1日間の記事一覧

会津藩〜エピソード第17章〜

梶原平馬は、天保十三年(1842年)、会津藩家老内藤介右衛門信順の次男として生まれた。 梶原家の養嗣子となり、平間景武を名乗った。梶原平馬 話が前後するが、戊辰戦争後、行方しれずとなり歴史から消えていた。 ところが、晩年を北海道の根室で過ごし、明…

会津藩〜エピソード第16章〜

長州藩は会津攻撃の準備を進めていた。 徳川慶喜と勝海舟はみて見ぬ振りで、江戸に戻った新撰組も勝海舟より「甲陽鎮撫隊」として、甲府城攻めを言われた。 大名にしてやるとの話であるが、体よく江戸から追っ払う考えであった。 まさに、トカゲのしっぽ切り…